Go To トラベル
Go To トラベルキャンペーンが始まって一ヶ月半が経ちました。今さらという気もしますが、ちょっと気になることがあるので書きます。
と言っても、制度が分かりにくいとか、東京都を除外したことの是非とか、コロナ禍が収束するまで延期すべきだとか、そういうのは有識者の方々がテレビや新聞などで言われているのでここでは触れません。私が気になっているのは別のことです。
観光地って、一年を通して人が訪れる所もあれば、特定の季節に集中して人が訪れる所もありますよね。スキー場は冬、海なら夏というように。そして、このコロナ禍で観光客が減って特に苦しんでるのは、桜の名所と言われるような春を書き入れ時としている観光地だと思います。
ところが、Go To トラベルキャンペーンの実施期間は来年の2月頃までと言われています。ということは、春の観光地がキャンペーンの恩恵にあずかれないのです。Go To トラベルキャンペーンが無意味だとは思いませんが、せめて一番苦しんでいるであろう人達が救われるように、実施期間を延長してほしいものです。
知ったかぶり
知ったかぶり。あらためて説明するまでもありませんが、知らないことをいかにも知っているように振る舞うことです。
鬱陶しくて、なるべく関わりたくないタイプですね。匿名のブログで偉そうなことを書いてそうです。
でも考えてみると、知ったかぶりは二種類に分けられるんじゃないかと思います。それは「知ったかぶりでしゃべる人」と「知ったかぶりで聞く人」。
「しゃべる人」は上に書いたように嫌われるタイプ。でも「聞く人」は別に害は無いし、むしろ良いことではないでしょうか。
テレビCMで、指原莉乃さんが若手の会社員の役で、会議中に知らない言葉をスマホでこっそり調べるシーンがありました。それを先輩社員に見つかって笑われるのですが、別に恥ずかしいことではないと思います。
自分の知らない事は世の中に無数にあります。知らない事を知ったかぶりして聞いておいて後で調べるのは、正しい姿、見習うべき姿なのではないか。まあ、調べるのは会議が終わってからでも良かったかもしれませんが。
自分で調べずに質問してくる人は、「しゃべる人」と同じくらい鬱陶しいものです。部下や後輩を持ったことがある方は経験あるのではないでしょうか。
なるべく人に嫌われないためには、知ったかぶりで「聞く人」になりつつ「しゃべる人」にはならずにいたいもの。と言いながら次のネタを考えています。
オリンピック
コロナ禍により来年に延期された東京オリンピック。この数日、中止に言及するニュースを目にするようになりました。
そういえば、東京の夏は暑すぎるって理由でマラソンと競歩は札幌で実施すると決まってから、まだ半年ほどなのですね。ずいぶんと昔のことのように感じます。
オリンピックに関するニュースを見て、ちょっと考えたことがあります。
オリンピックって約半月の短い期間にたくさんの競技をギュッと詰め込むでしょ。これを分散して、数か月間かけてやればいいんじゃないかと思うんです。
そう、まさにオリンピックイヤー。
冬季オリンピックは雪が無いと困るけど、夏季オリンピックで本当に夏じゃないと困るのって、サーフィンとかビーチバレーとか、屋外競技の一部でしょう。たぶん。
それらの競技は夏に、マラソンや競歩は秋に、と競技ごとに適した季節に実施すれば選手のためにもなるし、観戦する側としても良いパフォーマンスを見られて楽しいと思います。
またオリンピックを真夏に開催するのは、多額の放映権料を支払っているアメリカの意向により、NFLやMLBのシーズンを避けているためと言われています。
しかしアメリカで不人気のオリンピック競技がNFLやMLBと同時期に実施されたとしても、そこまでは文句をつけないでしょう。人気の競技だって、上手くやればNFLやMLBのスキマに実施できるかもしれません。
期間を分散すれば競技会場や選手村を使い回しできるし、ボランティアを含めた運営スタッフも少なくできます。観客向けの宿泊施設もそれほど多くなくて良いし、交通機関の混雑も減るでしょう。
ということは、日本やアメリカのような経済大国でなくても開催地に立候補しやすくなります。タイオリンピックとかモナコオリンピックとかもできるかもしれません。
オリンピックに何か月もかけたらパラリンピックはいつやるんだ、という問題が起きそうですが、翌年でもいいし、オリンピックと並行してもいい。いっそのことパラリンピックという枠組は無くして、ボッチャやゴールボールなどもすべてオリンピック競技の一部としてもいい。
来年の東京オリンピックは難しいと思いますが、2024年のパリオリンピックあたりから、どうでしょうか。
はじめに
ふだん考えているくだらないこと、疑問に思うこと、うれしいこと、時には腹の立つことなど、思いつくままに書いていきます。
独創的かもしれません。ありきたりかもしれません。
多数決こそ正義だとも、真実は少数の中にあるとも考えていません。
こんなこと考える人もいるんだなと、退屈しのぎに読んでもらえたら幸いです。